
先日、私はふとした疑問ネット上のQ&Aサイトに投稿しました。
すると、数多くの回答が得られました。
ただ、質問の内容に的確に対応している答えは私の感覚では、3割程度でした。
短い質問文から私の素性を決めつけた的外れな説教や、質問にそぐわない見当違いな回答、さらには相手を冷やかすような回答まで見受けられました。
ネットの心理
ネットは玉石混交です。
Q&Aサイトには相手を罵倒することで、憂さ晴らしをする人がいます。
しかし、この食い違いはそうした悪意だけではないようです。
気になって調べてみると「相手の問題解決」という建前のもとで、お互いに「自分の意見への同意」だけを求める心理が見えてきました。
Q&Aサイトの本質
誰しも多かれ少なかれ、自分への同意や共感を求めているものです。
心理学的には人は誰かに共感されると、オキシトシンというホルモンによって快感を覚えるようです。
また、他人よりも優位に立ったと感じたときにはドーパミンが放出され、快感を覚えるといわれています。
「Q&A」は質疑応答という形式に基づいて、無自覚のうちに快感を得る仕組みになっているようです。
両者の立場から
質問者と回答者は共に「相手に勝手な期待をしている」点で同類といえます。
回答者にとってみれば「質問者に適当で有益な助言を与えている」のかもしれません。
それには傲慢さが含まれています。
質問文から質問の背景まで知ることは不可能です。
例えば、質問者が助言や人生相談を望んでいたとは限りません。
実際の私の質問は知的好奇心によるものでした。
一方で、質問者は自分に都合の良い回答を期待しています。
「的確な回答が3割しかない」ことは私の主観にすぎません。
期待する内容は千差万別です。
例えば、共感であったり、肯定であったり、あるいは鋭い反論であったりします。
それは、文字で明記されない限り、回答者へ直接的には伝わっていません。
また、「文章がわかりにくく、伝えるべき質問自体が正しく伝わっていない」こともあります。
受け取った情報をもとに善意で親身になって回答した結果が、期待にそぐわなかった可能性も否定できません。
それを的確ではない、役に立たないなどといってしまうのは傲慢な態度です。
コミュニケーションの正解
私たちは会話の中で、無意識のうちに相手の返答に何らかの期待をしています。
例えば、自虐的に話しつつも内心では褒められることを望んでいたり、逆に厳しく叱られることを望んでいることもあるでしょう。
あるいは、深い話を求めているようで、実はたわいない会話を望んでいる可能性もあります。
期待の内容は千差万別です。
これらの期待は外からはわかりにくく、特に、見ず知らずの相手とのテキストコミュニケーションでは情報が限られているため、結果的にお互いが期待はずれだと感じることも少なくありません。
コミュニケーションにはお互いの自制心が求められます。
相手の期待に応えることが、必ずしも自分の満足や快感につながるとは限らないからです。
言いたいことを言うばかりではなく、相手の話もよく聞く、バランス感覚こそが、コミュニケーションの鍵だといえるでしょう。
言うのは簡単ですが、非常に難しいことです。