
高度なAIの登場によって、まとまった答えが瞬時に得られるようになりました。
ChatGPTは素人が努力して書いた文章よりもわかりやすい文章を自動生成します。
その結果、地道な調査をして、物事を細部までじっくり考える習慣がなくなってきています。
思考の放棄
AI依存の弊害の一つは思考の放棄です。
私は「AIは悪だ」「情報は人や本からのみ得るべきだ」などとは思っていません。
実際、校正の際にはchatGPTを利用することがあります。
chatGPTは、かなりの精度で論理の飛躍を指摘し、わかりにくい言い回しの改善提案をしてくれます。
うまく使えば非常に便利なツールです。
おだて上手なAI
ただし、利用の際の注意点があります。
chatGPTはユーザーの指示に素直に従って、回答をします。
ユーザーの指示に反論することなく、ユーザーを肯定しつつ、期待に沿った回答を生成します。
明らかにおかしな話でも「そんなものは絶対にありえない。騙されているぞ!」などと強く言い返してくることはありません。
そのかわり、平然と嘘をついてユーザーの期待に沿う傾向があります。
架空の物語・架空の人物・架空のデータをみて、その違和感に気づけるだけの知識が求められます。
ユーザー意見を尊重して対話を進めるため、自分自身を冷静に客観視できないと、ただのデタラメが生成されます。
AIによる教育
AIはあくまでも思考の補助として用いるべきだと思います。
そうは言っても、AIに作文を丸投げするような利用法はあとをたちません。
特に、教育におけるAI利用には大きな懸念があります。
AIの文章は綺麗すぎて、やや退屈な感じがしますが、近い将来にその点も解消されると考えられます。
AIが「本人らしさ」のある題材を選び、「本人らしさ」のある問いを立てて、文体を真似て論文やレポートを代筆してくれるようになったとき、教育はどう変わるのでしょうか?